干した海藻を焼いて、残った灰に混ざっている塩を使用するのが、最も古い塩作りの方法です。

塩の歴史

 

日本での塩の歴史は古く、縄文時代弥生時代にさかのぼります。
それ以前の狩りを行って暮らしていた時代、人間は狩った動物の肉だけではなく、多くの塩分が含まれている内臓や骨の髄まで余さず食していたため、特別に塩を取る必要がありませんでした。

 

しかし、縄文時代や弥生時代に入り、家を作って定住生活を行うようになり、農業を行って野菜や米などの穀物を食べるようになったりなど、生活状況が向上していくと、次第に必要な塩分を摂るために塩を取るようになったと言われています。

 

最も古い塩歴史

 

海のイメージ図

日本の塩の歴史の中で最も古い塩作りの方法は、干した海藻を火にかけて焼いて、その上でできた灰には塩が混ざっているので、それをそのまま塩として使用していました。

 

弥生時代の6~7世紀ごろになると、海藻を干して乾燥させ、そこに海水をかけて濃い塩水(かん水)を採り、それを土器で煮詰めて塩を作る「藻塩焼き」を行うようになりました。
奈良時代の8世紀ごろになると、海藻からではなく、大潮で海水を含んだ砂が乾燥したものを採り、それに海水をかけてかん水を採る方法に変わっていきます。

 

この頃には土器ではなく、焼いた貝殻や灰や土を塩水で練って作成した「土釜」を使って藻塩焼きを行うようになります。
鎌倉時代の9世紀になると、もっと効率的に塩を採取するため、採鹹地に手を加え、「塩浜」の形が発達します。

 

入浜式と揚浜式

塩浜は、地域により海水の干満の水位差を利用した「入浜式」と、人力で 原料海水をくみあげる「揚浜式」で行われるようになりました。煎熬には従来の土釜の他にも。釜底に医師を敷き詰めて、その隙間を漆喰で埋めた「石釜」が各地で使われるようになります。また、「鉄釜」を使用する地域も現れ始めました。

 

その後日本の塩の製造は進化を重ねていき、江戸時代末期の17世紀中旬には「入浜式塩田」という現在も使われている方法により塩が生成されるようになりました。